1979年
初の女性首相サッチャーさんの来日と連動したレディ80新聞広告(1979年6月27日 朝日新聞夕刊より)
広告二次利用許諾済(英国大使館、朝日新聞社承認番号19-3215、シマ・クリエイティブハウス)
※無断で転載することは禁じられています。
1979年、カネボウ化粧品は、来たる1980年代を「女性の時代」と宣言し、この時代を生きる女性に向けた新ブランド「レディ’80」を発表しました。そして、そのブランドプロモーションの一環として、女性を応援する数々の文化事業を開始。これらの企画の原動力になったものは、今まさにこの時代に生きている女性たちに輝いてほしいというスピリッツであり、今で言うパーパス・ドリブン・ブランディングそのものでした。
その取り組みのひとつは、ユニセフチャリティ事業(国際児童年参加事業)への派遣メンバーを募った「レディ’80募集」でした。この告知では、次のようなメッセージを発信していました。
「ウーマンリブに始まった1970年代は女性にとってまさに激動の時代でした。多様化する現代の価値観に最もふさわしい女性として生きるためにはどうあるべきかという自覚が求められ、さまざまな解答が出そろいました。しかし、それらの中から、何を選択し、真の意味での女性の飛躍化をめざすかは、来るべき1980年代の課題なのです。この女性の時代の到来に先駆け、カネボウはユニセフのチャリティ事業としてレディ80の募集を行います。レディ’80とは健康な美しさとやさしさを持ち、するどいファッション感覚と国際的センス、それに社会意識の持ち主、真の独創性にあふれた人こそ80年代に生きる女性、つまりレディ80なのです。」(原文のまま)
応募者25,704名の中から代表に選出された66名の「レディ’80」たちは、出身地区の日本ユニセフ協会の行事への参加や、’80年春のキャンペーンの地区モデルとしての活動をきっかけに、各人の才能を開花させ、それぞれの道へ進んでいきました。
一方で、1980年代の女性の生き方と女性文化のあり方に新しい解答を求めるために創設された「読売・女性ヒューマンドキュメンタリー大賞」を企画・協賛。新しい女流文芸の道を開きました。大賞作品は出版されると共に、カネボウ一社提供でテレビドラマ化され、その女性の視点で描かれた喜びや悲しみは、多くの人々の共感を呼び、1980年から20年にわたり継続されました。
さらに、先進国首脳会議開催時(東京サミット・1979年)には、全国紙の新聞広告で、サッチャー首相来日を歓迎するメッセージと共に、英国に誕生した初の女性首相の姿に来たる1980年代の女性像を重ね合わせ、「これまでのふるい女性像を超えて社会的にも目覚ましい活躍をしてほしい」というエールを日本女性たちに向けて送りました。
これらの取り組みやメッセージを発信してから40年。今、世界は、持続可能な人類社会の基盤のひとつとしてSDGsの目標に「ジェンダー平等」を掲げています。カネボウ化粧品はこれからも多様なプロダクトブランドからの提案を通じて、国内はもとより、世界の人々が自分らしく輝いて生きていける、笑顔あふれる社会の実現に貢献することをめざします。
レディ’80に選出された松原千明さんをモデルに
起用したキャンペーンポスター(1980)
レディ’80全国大会出場の地区代表
1979・レディ’80ニュースより
レディ’80スキンケアシリーズ
1979・’80春のキャンペーン企画書より
レディ’80メイクアップシリーズ
1980・レディ’80プロモーション企画書より
読売・女性ヒューマンドキュメンタリー大賞募集広告
(1979年2月26日 読売新聞)
1936年
事業によるサステナビリティへの貢献
~化粧品事業創成の思い~
1938年
化粧品とシルクの出会い
~カネボウ化粧品のモノづくり~
1956年
第一次南極観測隊の携行品
~隊員の皆さんのお肌を守る化粧~
1960年
機能性ファンデーションの開発
~歌舞伎界のスーパースターの熱意に応えて~
1962年
ビーチハウスで美容アドバイス
~東洋のマイアミで~
1964年
カネボウ香水 コロネーションベル
~戴冠式の鐘~
1968年
ソワンエステティック国産第1号機の開発
~エステティックの国内普及をめざして~
1969年
芸術と化粧品の融合
~新進気鋭の女流書家とのコラボ~
1970年
絵本画家 いわさきちひろの愛用品
~カネボウ ソワドレーヌ リップスティック ユリ~
1976年
人の成長を思う
~カネボウ化粧品中央教育センター~
1977年〜
日本の化粧文化の醸成
~シーズンキャンペーン~
1979年
ブランドプロモーションとパーパス・ドリブン・ブランディング
~女性を応援する取り組み~
1991年
LOHASなブランド
~カネボウ EC~