1960年
カネボウ舞台白粉(当時の製品)
この「舞台白粉」の初代は1954年(昭和29年)、歌舞伎役者の11代目市川團十郎さんとの共同開発で誕生しました。その昔、「白粉(おしろい)」には鉛が使用されていて鉛中毒を起こす危険性があり、特に舞台俳優はその発症が顕著でした。1934年(昭和9年)には、鉛を使用した白粉の製造は禁止されましたが、「鉛白粉のほうが美しく見える」と考える役者も多く、需要が続いていたようです。11代目團十郎さんとカネボウは、この問題を解決するために、「肌に安心」なだけでなく、鉛白粉よりも美しく見える白粉の開発をめざして、鉛を使っていない初代舞台白粉誕生後もさらに品質改良を続けました。
動きの速い「荒事」をお家芸にするだけに、11代目團十郎さんが求める品質は限りなく完成度の高いものでした。舞台の照明による温度差や激しい動きによる汗・皮脂にも崩れず、だからといって、固まったり、のびが悪かったりしては駄目。舞台の特殊な照明に映えることはもちろん、歌舞伎の「隈取(くまどり)」づくりの下地として重要な役割を果たす「白色」の頂点を極めること。このような11代目團十郎さんからの厳しい要請に応えるために、おびただしい数の試作品のやり取りがあり、ただならぬ苦労と困難があったようです。
そうやって初代「舞台白粉」の誕生から6年の歳月を費やし、ついに、1960年(昭和35年)に『舞台白粉』(ステージカラー)が完成しました。11代目團十郎さんはこの製品に満足されて、パッケージに歌舞伎の定式幕(じょうしきまく)模様を使用できるよう、関係者の方々からの了解を取り付けてくださいました。
「舞台白粉」から始まった機能性ファンデーションの開発。そのスピリッツは今も脈々とカネボウ化粧品のファンデーションづくりに受け継がれています。
11代目市川團十郎さん
勧進帳(1965・歌舞伎座)撮影:吉田千秋/©松竹(株)
坂東玉三郎さん
ポスター広告(1973)
キャップデザイン
舞台の成功を祈り「大入」の文字を大きく入れた縁起の良いキャップデザイン
発売当時の製品
今も純白が保持された白粉
発売当時の製品
底面の内容量・価格表示
発売当時の製品
裏面の品質保証シール
発売当時の製品
定式幕模様のパッケージ(色は退色しています)
現行品
今も受け継がれている定式幕模様のパッケージ
1936年
事業によるサステナビリティへの貢献
~化粧品事業創成の思い~
1938年
化粧品とシルクの出会い
~カネボウ化粧品のモノづくり~
1956年
第一次南極観測隊の携行品
~隊員の皆さんのお肌を守る化粧~
1960年
機能性ファンデーションの開発
~歌舞伎界のスーパースターの熱意に応えて~
1962年
ビーチハウスで美容アドバイス
~東洋のマイアミで~
1964年
カネボウ香水 コロネーションベル
~戴冠式の鐘~
1968年
ソワンエステティック国産第1号機の開発
~エステティックの国内普及をめざして~
1969年
芸術と化粧品の融合
~新進気鋭の女流書家とのコラボ~
1970年
絵本画家 いわさきちひろの愛用品
~カネボウ ソワドレーヌ リップスティック ユリ~
1976年
人の成長を思う
~カネボウ化粧品中央教育センター~
1977年〜
日本の化粧文化の醸成
~シーズンキャンペーン~
1979年
ブランドプロモーションとパーパス・ドリブン・ブランディング
~女性を応援する取り組み~
1991年
LOHASなブランド
~カネボウ EC~