カネボウ化粧品の歴史を一コマずつ切り取って
短い文と写真でご紹介します。
1978年・夏 Mr. サマータイム キャンペーンポスターより
モデル:服部 まこ(現、服部 真湖)さん
1960年代以降、高度経済成長に支えられて夏の過ごし方はよりアクティブに。健康的な小麦色の肌が女性のあこがれになりました。それまで化粧品各社の多くは、外国人系のモデルを起用していましたが、70年代後半に変化が訪れます。国立歴史民俗博物館 青木隆浩准教授(民俗研究系)は、2016年開催の企画展「身体をめぐる商品史」図録のコラムで次のように著述されています。
─「その中で異色を放ったのは、1977(昭和52)年にカネボウが展開した「Oh!クッキーフェース」というキャンペーンである。それまで、日焼けのモデルは主にハーフモデルが担ってきたのであるが、このキャンペーンでは和風の似合う夏目雅子が日焼けした姿で『モンソレイユ』という夏用ファンデーションのモデルを務めている。これ以降、日本人モデルが夏の日焼けや春秋のメイク、冬のスキンケアのキャンペーンを兼任する時代になっていった。
また、1980(昭和55)年頃から、ハーフモデルが急激に減ってきた。その代替策として、アイドルが化粧品の広告に起用されるようになる。その転機は、1984(昭和59)年にカネボウが催した「バイオ口紅ピュアピュア」というプロモーションで松田聖子を起用したことによる。これ以降、化粧品のプロモーションは、日本人のアイドルやモデルを起用することが多くなり、日本独自のソフトな女性のイメージを強調するようになっていった。」─(コラム「化粧品キャンペーンの歴史」より原文のまま引用)
青木先生が言及されている通り、この化粧品各社によるシーズンキャンペーンの展開が、新たな日本の化粧文化の形成に貢献したことは間違いありません。テレビで流された化粧品のCMソングのフレーズは、当時の皆さんのさまざまな思い出とリンクしているのではないでしょうか。
タイトル:Mr.サマータイム
モデル:服部まこ(真湖)
CMソング:サーカス
国立歴史民俗博物館 准教授 青木隆浩
今回ご紹介した日本独自のメイクを生み出すに至るシーズンキャンペーンが始まった1977年は、同時に「第二次日焼けブーム」の始まりでもありました。では、「第一次日焼けブーム」とはどのようなものだったのか・・・。そこで今回特別に、国立歴史民俗博物館の青木准教授が、1966年からはじまる「第一次日焼けブーム」(1966-1973) について小論文を書き下ろしてくださいました。ぜひ、お読みください。
今回ご紹介した日本独自のメイクを生み出すに至るシーズンキャンペーンが始まった1977年は、同時に「第二次日焼けブーム」の始まりでもありました。では、「第一次日焼けブーム」とはどのようなものだったのか・・・。そこで今回特別に、国立歴史民俗博物館の青木准教授が、1966年からはじまる「第一次日焼けブーム」(1966-1973) について小論文を書き下ろしてくださいました。ぜひ、お読みください。
第13回1938年
化粧品とシルクの出会い
~カネボウ化粧品のモノづくり~
第12回1976年
人の成長を思う
~カネボウ化粧品中央教育センター~
第11回1991年
LOHASなブランド
~カネボウ EC~
第10回1968年
ソワンエステティック国産第1号機の開発
~エステティックの国内普及をめざして~
第9回1956年
第一次南極観測隊の携行品
~隊員の皆さんのお肌を守る化粧~
第8回1970年
絵本画家 いわさきちひろの愛用品
~カネボウ ソワドレーヌ リップスティック ユリ~
第7回1979年
ブランドプロモーションとパーパス・ドリブン・ブランディング
~女性を応援する取り組み~
第6回1964年
カネボウ香水 コロネーションベル
~戴冠式の鐘~
第5回1962年
ビーチハウスで美容アドバイス
~東洋のマイアミで~
第4回1977年~
日本の化粧文化の醸成
~シーズンキャンペーン~
第3回1960年
機能性ファンデーションの開発
~歌舞伎界のスーパースターの熱意に応えて~
第2回1969年
芸術と化粧品の融合
~新進気鋭の女流書家とのコラボ~
第1回1936年
事業によるサステナビリティへの貢献
~化粧品事業創成の思い~