大会毎の成績を、いち早くお知らせします。
2001
福岡国際マラソン
12月2日
12月2日、福岡国際マラソン大会が平和台陸上競技場を発着点に行われ、今回マラソン初挑戦となる高岡寿成選手が出場しました。
当日は、気温が高く風が強いというマラソンレースとしては悪条件の中、狙いを“記録”から“勝負”に切り替えてのレースとなりました。
前半は「楽でしかたがなかった」という高岡選手も38キロ過ぎから徐々に遅れ、優勝争いから遅れたものの、数々の大舞台で培ってきた精神力で粘り強い走りを見せ、大きく崩れることなく3位でゴールしました。
全日本実業団対抗陸上選手権
9月29日・9月30日
9月29日から2日間、石川県で第49回全日本実業団対抗陸上選手権が開催され、市之瀬進、瀬戸智弘、中村悠希の3選手が出場しました。
大会初日、男子10,000メートルでは、瀬戸選手5位、市之瀬選手7位という結果でした。
男子ジュニア1,500メートルでは、中村選手が序盤で若干出遅れたものの、1周ごとにペースアップし、最終コーナーで前の選手を抜き去る粘り強さを見せ、優勝しました。
翌30日、男子5,000メートルでは、瀬戸選手が総合6位、日本人2位でゴールしました。
同日、ジュニア5,000メートルで、中村選手は、前半から積極的に飛ばしましたが、中盤以降ややスピードが落ち、追走する選手に逆転されてしまいました。
しかし、残り100メートルからのラストスパートでゴール直前に再び逆転し、前日に引き続き優勝しました。
中村選手は、石川県尾山台高校出身の入社2年目。故郷で両親や恩師が見守る中、2種目制覇という快挙を成し遂げました。著しい成長が見られ、着実に力を付けている中村選手。今後、更なる活躍が期待されます。
世界陸上
8月8日
8月8日、カナダのエドモントンで世界選手権が開催され、男子10,000メートル日本代表として、高岡寿成選手が出場しました。
激しくペースのアップダウンが続く中、高岡選手は自分のペースを守りつつ、トップ集団にぴたりとついていき、3,000メートル付近では、一度トップに立ちました。
しかし中盤以降から徐々に先頭集団から遅れていき、9,000メートル付近では上位争いから脱落してしまいましたが、最後までレースをあきらめず、持ち前のラストスパートで、3人を抜き、最後は15位でゴールしました。
日本陸上競技選手権
6月8日~6月10日
6月8日より3日間、日本陸上競技選手権が国立競技場で開催されました。 大会2日目の男子10,000メートルに高岡寿成、市之瀬進、入船敏、瀬戸智弘の四選手が出場しました。
レースは序盤から数名の外国人選手とともに高岡選手、瀬戸選手が、先頭集団を形成し、展開していきました。3,600メートル過ぎから、外国人選手がペースをあげ、日本人選手では高岡選手が第2グループで力走し、日本人トップの総合3位でゴールしました。
また、同大会最終日の男子5,000mでは、瀬戸選手が日本人2位、総合4位に入賞しました。
東アジア大会
7月28日
5月26日、大阪の長居陸上競技場で東アジア大会が開催されました。当社陸上競技部からは、高岡寿成選手、瀬戸智弘選手が男子5,000Mに出場しました。気温が高い中で争われたレースは、序盤から高岡選手、瀬戸選手が飛び出し、レースを形成していきました。その後、3,000M過ぎから高岡選手がスパート。独走体制となりました。結果、高岡選手金メダル、瀬戸選手銀メダルとカネボウで金銀独占という快挙を成し遂げました。
高岡選手1万M日本新
5月4日
高岡寿成選手は、5月4日、アメリカで行われたカージナル招待10,000Mで27分35秒09の日本新記録を樹立しました。これまでの日本記録を14年ぶりに0秒24更新するもので、高岡選手は3,000、5,000メートルに続き、長距離三種目の日本記録保持者となりました。
兵庫リレーカーニバル
4月22日
4月22日、兵庫リレーカーニバルが八月の世界選手権の日本代表選考会を兼ねて、神戸ユニバー記念競技場で行われ、男子10,000MAに当社陸上競技部の高岡寿成、市之瀬進、入船敏、瀬戸智弘の4選手が出場しました。
トップアスリートが一同に会し、好記録が期待されましたが、強風という悪条件の中、ラスト200Mの日本人トップ争いを高岡選手が制し、5位入賞するのが最高で、入船選手が日本人3位の10位。瀬戸選手19位、市之瀬選手20位でした。日本新記録を目指し大会に臨んだ高岡選手は「外国勢による高速レースを期待していたが、予想外のスローペースで記録が出せず残念」と話していました。
熊日30キロロードレース
3月17日
2月18日、熊日30kMロードレースが行われ、高岡寿成選手が日本最高記録にあと37秒と迫る1時間29分23秒のタイムで初優勝を飾りました。
10kM過ぎまでスローペースで展開したレースは、中盤スピードアップ、先頭集団から次々と選手がふるい落とされていくサバイバルレースとなりました。25kM過ぎには、高岡選手と坪田選手(コニカ)の二人に絞られましたが、28kM手前で仕掛けた高岡選手が持ち前のスピードを活かして、そのまま逃げ切りました。
今後のマラソン転向を視野に入れて、自己最長の30kMに挑んだ高岡選手。「マラソンへの登竜門」と呼ばれ、歴代優勝者には、五輪メダリストなど一流選手が名を連ねるこの大会で、大会歴代3位となる好タイムでの優勝は大きな自信につながりました。
千葉国際クロスカントリー
2月3日
2月18日、千葉国際クロスカントリーが千葉市の昭和の森で開催され、男子8,000Mに出場した入船敏選手が、日本人トップの2位と健闘しました。序盤から積極的にトップに立ってレースを引っ張った入船選手。ラスト3,000Mで惜しくもかわされ、優勝は逃したものの、2大会連続の世界陸上一万M代表に向けて弾みをつけました。
別府大分毎日マラソン
2月4日
2月4日、大分県の別府湾岸沿いのコースで開催された第50回別府大分毎日マラソンで、徳永大輔選手が見事6位に入賞しました。
徳永選手は、序盤から先頭集団の中で好位置をキープしていましたが、24kM付近で後続の選手と接触、その後、脚がけいれんするアクシデントにも見舞われ、折り返し地点では先頭から、大きく遅れてしまいました。
しかし、その後はベテランらしく、前方の選手を着実に抜いていく粘りの走りで、次々に順位を上げ、2時間13分14秒のタイムでゴールしました。
徳永選手は当社陸上競技部の最年長現役選手。1993年の北京国際マラソン準優勝、1995年の世界陸上マラソン代表、1996年のロッテルダムマラソン準優勝を筆頭に、17年間の競技生活で、常に日本のトップクラスのマラソンランナーとして実績を残してきました。別大マラソンは、最初に走った思い出の大会であり、1989年に7位に入って以来11年振りの出場、通算では26回目のマラソンとなったこの大会で、またひとつの大きな成果を納めました。
朝日駅伝
1月8日
1月8日、朝日駅伝が福岡市から北九州市までの7区間、99.6kMで争われ、当社陸上競技部が最終区で大逆転、4年ぶり9度目の優勝を飾りました。
1月1日、全日本実業団駅伝が群馬県で行われましたが、強風の吹き荒れる悪条件の中で、実力を出し切ることができず、参加37チーム中9位に終わりました。それから、わずか1週間後という厳しい日程ではありましたが、元日の雪辱を期して、朝日駅伝に臨みました。
この大会では、入船敏選手が大活躍。5区を終えた時点で、トップと2分9秒差の3位と、かなり厳しい展開でした。しかし、6区でタスキを受けた入船選手が逆風の中、最長区間を区間最高の快走で2位に浮上、首位と33秒差まで縮めました。
7区アンカーの瀬戸智弘選手は、7kM付近でトップに追いつき、ラスト3kMの下り坂でスパート。2位を完全に振りきり、4時間53分47秒のタイムで、優勝のゴールテープを切りました。